僕はラオスでHotmailを見て、びっくりしたという話でした。
何しろ、お互いがアカウントを持っていれば、そしてどこのパソコンでもネットにつながっていれば、
コミュニケーションができるのだと。
その頃の僕の日本との連絡手段といえば、カオサン通りの定宿の手紙を届けてもらう、
というなんともアナログなものだったのだ。
ただ1つ残念なことは、僕にはパソコンも、アカウントを持っているような友人も、
さらには連絡を頻繁にする、というニーズもなかったということだった。
時は過ぎ、僕はイエルネットという会社で働いていた。
その時のネットの思い出があったのだろう。その時ネットベンチャーに僕はいた。
いい会社だった。そしてひどい会社だった。
仲間がよかった。
同年代が多かった。
クラリスにつぶやくまでもなく、気持ちのいい連中ばかりだった。
何かを実現したいという気持ちをもっていて、基本能力が高く、熱かった。
お互いを信頼していたし、チームワークも強くとてもいいものを作っていた。
そしてひどかった。
事業を回すということすら誰も知らなく、経営などというものがなされる気配もなく、
売上げるということの価値を知る人間すらわずかだった。
外を見る人間はわずかだった。中の世界しか知らない人間ばかりだった。
そして悲しくも愚かな経営陣のいざこざやら、体制変更やらだけが続いていた。
何より経営陣も含め、誰もが未熟だった。
わぁわぁ言うとります。お時間です。
キャッシュは続かなくなり、会社は営業停止ということになり、
メンバーは誰もいなくなった。
会社自体は、どこかの会社にびた一文で売られたみたいだが、その後は誰も知らない。
これが悲劇ではなく喜劇で済んだのは、まだみんな若かったからだ。
「みんなを最後まで見送ってから自分の身の振り方を考える」とうそぶいていた創業者は、
一番最初にソニーへ転職した。
イエルネットは、創業者の壮大な転職活動だった、ということで、
コント以外の何者でもなかった。
でも、社長だろうと誰だろうと、みんながみんな、変わらず愚かだったんだ。
自分たちのやりたいことをお客様の要望より優先する企業は、死ぬしかない。
何より会社をやるってことを、事業するってことを根本から分かっていない会社は倒産するしかない。
当たり前のことが何も分かってなかったんだって僕は後から思い返すことになる。
ただ、でもその時、倒産間際の必死の状況と大きな脱力感を胸に、
僕は「リベンジ」という言葉を使うようになる。
こんないいメンバーだったのに、経営のせいで倒産した。
このメンバーで絶対何かを達成してやる。勝ってやる。
イエルネットのリベンジをもう1回。
呪いのセリフのように、つぶやいていくのでした。
(続く)